平凡な日もまた文化をつくる

文化の日についてふと考えてみた。
果たして文化の日であるからには、なにかただの休日にしてはならぬ、という思いは朝イチから脳裏をいったり来たりするものの、結局終わろうとしている今となっては、ただの休日に過ぎなかったと言わざるを得ないのが悲しいです。
でも、ちょっと立ち止まって考えてみます。
文化とは、そんな名もない、流れいく一日の中にこそ本当は存在しているのかもしれない、と。
つまり、仰々しく、あるいは華々しく、文化の日にふさわしいなにか特別なことを行ったとしても、まるでそうでなかったとしても、一人称での人生の1ページであることに変わりはないわけです。
もしかしたら、名もない一人の市井の者には、それに相応しい普通の文化の日があるのかもしれません。
そんなことを考えながら、まあ今日も一日、決して大きな幸せが舞い込んだわけではないにせよ、平和で穏やかな静かな秋の一日を過ごせたことを思えば、自分の身の丈にあった一日だったのかもしれない、とも思えてきます。
むしろ、逆に、あえてかしこまってなにか特別なことを探し、特別な自分を演じてしまったら、やっぱり取って付けたような一日になってしまい、人生のⅠページとしては、前後のページとの折り合いがつかないかもしれないなあ、とも思えてきます。
名もない数えきれぬ市井の人の、普通の時間、普段の暮らしの積み重ねが、毎日の見えない文化の日を、年中静かに作り続けているのかもしれませんね。